私の考える結婚論


お久しぶりです。寒いね~

うつの大きな波は乗り換えられてきたのかなと思っています。フレンドと話していて、丁度結婚の話題が出たんですが、私自身、そういえば結婚ってなんだろうなって考えさせられる機会になったので、ここ(チラシの裏)に私のおもう結婚論についてつらつら残そうと思います。

私はうつ病と婚約破棄事件()が起こるまでは、社会的評価のためにある程度の年齢になれば「結婚は避けて通れない試練」のような、「契約」のような、、ものだと思っていました。なので、この人だから結婚したい!というよりは、まあそろそろ結婚はしとくか!みたいな、形にばかりこだわった考え方を持っていました。

今こうして、独身で恋人もいない一人生活になったことで、改めて冷静に「結婚ってなのためにあるんかな」って考える機会になりました。そういう点では婚約破棄になった出来事も悪くないな。

だって、あのまま形式にこだわって結婚だけしてたら、後々とてつもなく苦労していただろうから。


結婚って、「この人とならきっと大丈夫」とか「絶対に離れたりしないはず」みたいな安心材料を探したくなるものだけど、未来のことって、どれだけ考えても結局は誰にも分からない。

どんだけ強そうに見える人だって、環境が変わったり、仕事がバタバタしたり、心が疲れたりすれば、ふっと脆くなる瞬間があるし、関係の形が揺れることだってある。

だからこそ、「浮気しなさそう」「優しそう」「お金稼いでくれそう」といった“未来の保証”みたいなものに頼りきるよりも、「たとえいつか終わりが来ることがあったとしても、この人と過ごした時間は本当に大切だった」と思えるかどうかで選ぶ視点が大切なんじゃないかなと思います。

ただ離れたくないから一緒にいるんじゃなくて、「この人と過ごす日々そのものに意味がある」と感じられるかどうか。

一緒にいた時間が、自分を成長させてくれたり、心を豊かにしてくれたり、世界の見え方を少し優しくしてくれたり、しんどいときも「あの時間があったから今の自分がいる」と思えるような関係なら、たとえ形が変わっても、そのぬくもりは自分の中にちゃんと残ります。

要は、人生の選択というものは、別れを前提にしているんじゃなくて、どんな未来になっても後悔しにくい選び方がベストだと思うんです。

「一生続くかどうか」よりも、「もし続かなかったとしても、自分の選択をやさしく受け止められるか」。ここに軸を置くと、相手を見る目も少し変わってきます。相手のものさしでコロコロ変わるようなもの…例えば、条件・年収・世間体よりも、「この人と笑った時間が、自分の心をちゃんとあたためてくれるか」「この人と重ねる日々を“よかったな”と思えるか」という感覚のほうがずっと大事になってくる。

結婚はゴールじゃなくて、人生の途中にあるひとつの節目だからこそ、「失敗しないための選び方」よりも「後悔しにくい選び方」を意識するのって、とてもやさしくて、成熟した考え方だと思っています。

未来の保証を求めるより、今この瞬間をどう心地よく過ごせるか。


その積み重ねが、きっとその関係の価値になっていくんじゃないかなと。

だから、私は結婚について焦るつもりはないです。自然と開けてくる、やってくるものなのかなと。

そう思った秋の夜長でした。

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